シングルマザー マレーシアペナン島移住への道 私のストーリー

シングルマザー マレーシアペナン島移住への道 私のストーリー

2013年の春にマレーシアのペナン島へ息子と2人で渡って来て、6年以上過ぎました。

仰々しいタイトルをつけちゃって恐縮ですが、今回はどのような経緯でペナン島へ来ることになったのかについて、詳しく書こうと思います。

結論を先に言うと、311の東日本大震災以降、私と息子の健康状態が著しく悪化して東京を離れたかったことと、息子が自分らしく生きていくことを可能にする教育を受けさせたかったこと、そして出て行かれる場所をたまたまペナン島に見つけた、ということです。

結果的にとてもよかった
と思っています。

私は現地就職をしているわけではなく、現在はインターネットを使って細々と英会話レッスンの自営業をしており、息子は現地のインターナショナルスクールへ通い、親子で学生ビザと保護者ビザで滞在しています。

ですので、ペナン島で仕事を得る方法や、海外就職のハウツー的なことは書いてありません
とても個人的な話になるので、海外移住の具体的な方法に関心がある方には、たいして有益な情報ではないことをあらかじめお伝えしておきます。

今や海外へ出て行く日本人も増え、その理由や考え方、方法も様々です。
これから書くことは、シングルマザーでお金持ちでなくても、こんな風に海外へ移った人間もいる、という一例として捉えていただけたら幸いです。

はじめに、正直に言って私たちがペナンへ来たことを、『移住』と呼ぶのには違和感があります。
移住というと永遠にその土地に暮らすようなイメージですが、私は現時点では永住とは考えていないので。

どちらかというと、一時的な引越というのが自分の感覚には近いです。
タイトルに『移住』の文字を入れたのは、その方がわかりやすいからです w

簡単なバックグラウンド

6年暮らしたNYから帰国

いきなりペナン島へ移った時の話を書いても、背景がわからないと思うので、私の簡単なバックグラウンドについて触れておきます。

今までの職歴の大部分は英会話講師の仕事ですが、趣味の写真を極めて写真家を目指すべく、
2000年に元夫の米国人(日本で出会い結婚)とニューヨークに渡り、マンハッタンにあるInternational Center of Photographyで学びました。

911同時多発テロが起きた時には、マンハッタンに住んでいました。
(日本の大学を中退して渡米してからの話は英会話サイトのこちらへ

その後紆余曲折あり、離婚し2003年にシングルで息子を産んでいます。
そして3歳になる前に息子と共に日本へ帰国。

帰国して驚いたこと

戻ってすぐに、昔働いていた英会話スクールで再び教えることになりました。
その時に子供クラスを7年ぶりに担当して衝撃を受けたのが、日本の子供たちが『まわりに合わせてふるまうこと』でした

わかりやすい例でいうと、小学校低学年のクラスのレッスンで袋の中に入っているものを英語で当てる場面がありました。

8人いるクラスで最初の子が “ I think it’s an orange!” と言ったら、残り7人全員が同じことを言ったのです。英単語を他に知らなかったということではなくて、それまで散々いろんな単語を習った後の話です。

それ以外でも、少しでも目立つことをすると、他の子から『KY』とからかわれたり、極力人と違うことはしないようにしようとしているのが感じられ、「うわぁこれは日本の教育のせいだな」と思いました。

もっと自由にモノを言うアメリカの子供達に慣れていたので、違和感を覚えました。

自分は高校までは日本、大学はアメリカの州立大学で社会学の学位を取得しています。
そこで体験したのは

アメリカの学生は

  • 授業中に活発に発言し、教授は様々な意見を取り入れながら授業を進めていく
  • 自分の考えを堂々と言い、他人と意見交換することに慣れている
  • 違いは違いとして認めていて、自分と違うからといって排除したり、感情的に反応しない

ということ。
もちろん例外はありますが、私の経験では大体においてそうでした。

時には「それってわざわざ教授の話を遮って主張するようなことなんかい?」と思える発言も学生から飛び出します。でも、ともかく自分の思うことを臆せず言えるアメリカの文化は「気持ちがいいな」と思いました。

一方で私は、教授(先生)の話を聞き、黙ってノートを取るという、受け身の姿勢で授業に参加していて、自分から手をあげて発言することはなしでした。

英語の問題ではなく、毎日行われる通常の授業の中で、聞かれてもいないのに自発的に意見を述べるということ自体、言語に関係なく慣れていなかったからです。

グループディスカッションとか、ペアワークなどで、自分も発言しないといけない状況になって初めて何か言う、という感じでした。そして考えてみると、私が行った日本の公立校では、このような教育スタイルだったな、と。

日本では何かを話し合って意見をまとめるような場面でも、自分を抑えてなるべく周りに合わせようとします。

そうすることで物事がスムーズに運ぶので、波風立てないふるまいをするように『暗黙の了解』がある
ような… いわゆる同調圧力ってやつですね。これは、基本的にまず学校で身につけてしまうものではないかと私は思っています。

話を元に戻して、その英会話スクールで目の当たりにした学齢期の子どもたちを見て、当時まだ保育園に通っていた息子も数年して日本の学校へ行くようになったら「こんな感じになるのかなぁ」と危機感を覚えました。だって人に合わせて、自分らしくいられないのは楽しくないから。

一般の学校ではなくて、もっとひとりひとりの個性が尊重される学校はないか、義務教育終了時点で子供が、『どこを切っても金太郎飴』みたいになってしまわない教育をする学校はないか、調べました。

シュタイナー教育の学校やら、個性を伸ばす教育をする私立校など、良さそうな学校がいくつか見つかったけれど、学費の高さや家からの距離などで断念せざるを得ませんでした。

311の転機

そうこうするうちに時は流れ、息子は地元の公立小学校へ入学しました。
東京の三多摩地区にある学校です。

参観日に学校の展覧会で貼り出された生徒の絵(折り紙をちぎって作ったアジサイ)を見て、またも驚き!

ひとクラス分の作品が丸々同じで区別がつかず、私が 「うわぁぁぁぁ!」と衝撃を受けている横で、他の保護者はすばらしいですね〜と言っていたので、私の感覚が特殊なのかも、と w

そして息子が小学校1年をもうじき終えようとしていた3月に、東日本大震災が起きました

そこから時間を先に進めて… 私が生活を変えよう、東京を離れよう、と思った直接の原因は、311以降自分の身にひどい異常が起きたからです。

詳しいことには触れませんが、

  • 手の指のうち8本の爪が剥がれ、どこの病院へ行っても原因はワカラナイ、と言われる
  • ホラー映画の主人公のような手を隠すために、ずっと手袋がはずせない
  • 一時は自分でお箸も持てず、歯磨きもできず、パンツもはけず
  • そして眠っていても急にものすごい動悸がして目が覚める
  • お腹は丈夫だったはずなのに、いつも下痢気味
  • 息子は風邪を引いてから3ヶ月咳が止まらない…

この件に関しては、考え過ぎだとか、いろいろな見方があることは認識しています。
ただ、私は実体験を通して「このままではマズイと思った」それだけです。

そのような状況の中で、ツイッターの存在を知り、登録をして情報収集を始めました。
表の報道では見えてこない様々なことをネットで知るにつれて「どこかへ引っ越さなければ」との思いが強くなりました。

ひとり親なので、私の身に何かがあったら息子が路頭に迷う。実際に「そのうちポックリ逝くのでは」と心配になり、死亡保険に加入したほど動悸がひどく体調が悪かったのです。

求職活動

最初、大好きな沖縄に行こうと思い、求職活動を開始しました。

英会話講師関係の仕事にいくつも応募するも、書類審査も通りません。応募の仕事内容に合うかなり豊富な経験があるにもかかわらず、面接にも呼ばれません。

仕事の応募条件に「車の免許」と書かれているものもあり、「絶対に沖縄に移る!」と思っていたので、なけなしのお金を叩いて教習所に通い車の免許も取り準備していました。

それでも仕事探しは難航し、そのうちに「あぁこれって年齢差別ってやつかしら」と思い始め… 年齢で切られるのであれば、自分の力ではどうにもできないので、すっかり気持ちが萎えました。

他にも国内の東日本から離れた場所に移れないかと調べ、履歴書を送ったりしたのですが全くダメでした。何度トライしても思うようにコトは運ばず、時間だけが過ぎていく

やけっぱちでタイへ

そのうち全てが嫌になってきて「I need a break! 休暇が必要!」と、息子を連れて夏休みに2週間弱タイへ行くことにしました。

何かに行き詰まった時は、そこから離れて状況を変えてみたら視界が開けた、
という経験があったので。

息子はアメリカ生まれで、日本に帰国する前にメキシコの家庭で、私と1ヶ月間ホームステイしたことがありますが、いずれも3歳前のことなので本人には全く記憶がありません。つまりタイが物心ついて初めての外国旅行です。

何も決めずに航空券だけ買ってフラッと行って見たら、これがナカナカおもしろい旅になりました。

バンコクから夜行列車に乗り北のチェンマイまで行った朝、早朝すぎて宿がまだ開いておらず、道端にベタッと座り2人で延々とUNOをやりながらも息子は楽しそう。(私はゾンビ状態 )

「あぁこの子は意外に適応力があるかも!」と思ったのです。

何をやっても新しい体験に目を輝かせ、言葉が通じないことを特に気にしている様子もない。

何度か行った街のレストランではスタッフにかわいがられ、1日雇ってチェンマイをまわってもらったトゥクトゥクドライバーのお兄さんとは、打ち解けて手をつないで私の先を歩いていました。

その時に「そうだ!移動先を日本国内に絞る必要なんてない、海外へ出るっていう選択肢もある!」と思ったのです。

実はアメリカから引き上げて日本へ帰った時、永久帰国するものと思っていました。
当時持っていたアメリカのグリーンカード(永住権)も、一定期間アメリカを離れていたので、失効してしまいました。

早速その時チェンマイでインターナショナルスクールをググり、学費をチェックしてみたら「ヒェ〜ッ、到底ムリ…」のお値段

でも「東京へ戻ったら海外のインターナショナルスクールを調べよう、そして海外就職できないか探ってみよう!」と光が見えたような明るい気持ちになったので、この『フラッとタイ旅行』は大正解だったと思います。

ターゲットを海外へシフト

日本へ戻ってから海外へ目を向け始め、自分の経歴でできそうな仕事を片っ端から調べました。
場所を特定せずに、それこそワールドワイドです。

良さそうだなと思った募集がいくつかあったのですが、その地域の学校、インターナショナルスクールや治安、物価などを調べると、「フム…」と考え込んでしまう点があり、結局どこにも応募するには至らず。

同時にツイッターで情報収集している際に、マレーシアにペナン島という島があることを知り(スミマセン、それまで知りませんでした w)ネットでググり、また図書館で本を借りてきて調べました

そしてペナン島のインターナショナルスクールを検索したら、頑張れば私でも学費を払えそうな学校を1校発見

こちらのインターナショナルスクールは、学年が上がるごとに授業料もアップします。
当時まだ8歳だった息子は低学年なので、上の学年に比べればそれほど高額ではありません。

これだ!」と思いました。

ちょうどそのタイミングで、当時すでにペナン島に住んでいたツイッター名@ikurannさん
(現在はカナダへ移住済み)が、同じコンドの別の部屋に住んでおられるお父様が、しばらく日本へ帰国するので数ヶ月間家を貸し出したい、と募集しているのを目にしました。

「やった!チャンス到来!」とすぐに彼女にツイッター経由で連絡を取りました。

そして詳細を教えてもらい「わぁこれはもう行くしかない!」と思いながらも、この時点で自分はまだペナン島に就職先を見つけたわけでもなく、通えそうなインターはあるものの、経済的にどうやって生きていこう、と考えました

人には言えないほどのギリギリの貯金しか持っていなかったので、しばらく暮らせたとしても継続できないことがわかっていたからです。当然ペナン島へ下見に出かけたりする余裕はナイ。

沖縄に移住したら使う予定だった運転免許取得に、約30万円近くも使ってしまったことを悔やんだけれど、時すでに遅し。そして… 結局その免許は帰国更新していないので数年前に失効してしまったというオチ。笑笑

未知の国マレーシア

私は旅行が好きなので、その時点でアジア方面ではタイやインド、ミャンマー、フィリピン、香港、中国、などへは行ったことがあったけれど、マレーシアへは渡航経験ゼロ

マレーシアと言ったら「アメリカの学生時代にシェアハウスしていた一人が中華系マレーシア人男子だったなぁ」というくらいでした。

下見もしないでよく子連れで行ったね、と後から色々な人に言われたのですが、この点に関して自分はたいして不安は持っていませんでした。

成人以降アメリカに通算13年半住んだことがあり、様々な『アチャー!』を体験済み。
そして若い頃から一人で海外を旅していて、知らない場所へ行くのはゼンゼン平気 … って言うか逆にワクワクします!

旅行で行くのと生活するのとではもちろん違いますが、切羽詰まっているので、ともかく行けるところならどこへでも行く、という覚悟でした。

行ってみて何か問題が起きればその時に対処すればいい。途中から軌道修正して方向転換するのもあり。そう考えました。もちろんお金に余裕があれば下見に行くといいと思います。子供がいる場合はその方が賢明でしょう。

でも逆に私の場合は、行ったこともない国なので期待もない
旅するときのように、先入観を持たず新しい土地へ行き、気に入ったら長居し、合わないと思ったら次の場所へ移る。そんなイメージでした。

発狂しそうなほど悩んだ

話を元に戻します。

ペナンなら行かれそうと言うことがわかり、ペナン島での仕事を検索してみるも、自分ができそうな仕事は見つからず

それなら、と在宅でできる英語教材制作や英文添削指導などを調べ、試験に合格したものもあったのですが、なんせ時給が低くて親子2人の生活費を稼ぎ出せるような額にはならない

その当時、私は自宅で英会話を教えていて、以前「スカイプレッスンはやっていませんか?」と問い合わせがあったのを思い出しました。

当時は対面レッスンを基本にしていたのでお断りしましたが「そうだ、自宅でのレッスンをスカイプレッスンに切り替えることも可能かも」と思いました。今ほどスカイプ英会話レッスンが盛んではなかった頃の話です。

一番悩んだのはこの時期。
行けそうな場所は見つかった。でも先への経済的な保証がないまま行ってもいいのか。
しかも自分には子供がいる。リスクが大きすぎるのでは… いや、でもスカイプレッスンを増やしていけばなんとかなるかな… 現地へ行ったら何か仕事が見つかるかな …
全て?はてな?マークでした。

私は慎重派な割には、考えても答えが出ない時にはバーンとパラシュートで飛び降りてしまうタイプです。

今までそうやって生きてきて、全てが思う通りに行ったわけではないけれど、後悔は一切ない。やってみてうまくいかなかったことは、諦めがつくから

そして、見切り発車で新しい道へ足を踏み入れると、それまで見えなかった展望が開ける、という経験を何度もしていました。あとは自分の決断次第

その時点で移住を検討し始めてから、すでに1年半近くが過ぎていたので、とても焦っていました。体調が最悪なことに加えて、心理的にひどい便秘で身動き出来ないような w

毎日エアアジアの航空券を調べてはパソコンを閉じて、の繰り返し。翌日見ると更に値段が上がっている … (当時はネットにcookieという機能があることを知らず)

決断

そして悩みに悩んでいたら、ある時ポチッと指が購入ボタンを押してしまった。笑
いや、航空券を買ってしまえばもう前へ進むしかなくなると思って、自分を鼓舞して押したというのが本当のところ。

ペナン島のikurannさんには、その旨伝えました。
後に、お父様のご都合が変わって家の貸出は中止になり、うちに来ないかと誘ってくれたので、最初しばらくは彼女のところでお世話になることになりました。

ところで、このikurannさんには感謝しても仕切れない。決断力が素晴らしく、また温かいお人柄で今では大切な友達の一人であり、同じシングルマザーとしてとても尊敬しています。(ikurannさんのアカウントはこちら

さて、その航空券をポチった時から、出国までは1ヶ月半。その間に

  • 家財道具を売り払い
  • マンションを退去し
  • 海外引越し業者に見積もりを取り
  • 海外転出のための諸々の手続きをし
  • ペナン島で入学を希望している学校へ何度も連絡を取り etc. 

という怒涛の海外引越しが始まりました。

奇跡が起きた

売りたい家財道具の写真を撮り、ネットに広告を出してから何人もの人が我が家を訪れたり、
連絡をもらってモノを送ったりの作業が続きました。

ある時、子どものオモチャを大量に購入してくださった方とやり取りをする中で、その方のお知り合いの語学センター経営者の方が、東南アジア地域で駐在できる英語堪能な人材を探している、と教えてくれました。

その時には詳しいことはわからなかったので、ともかく一度面接をという話になり、後日カフェでお会いし紹介していただきました。

詳細は省きますが、その語学センターでは、事業の一環である英文添削のような仕事を在宅でできる人も募集中ということで、まず能力適性検査をされることになりました。

急に決めたカオスの海外引越時期に、大量の英文文献を読まねばならず、正直なところ悪夢以外の何ものでもなかった。笑

でも、どうにかなるものですね。

このチャンスをゲットすれば、一番の懸念材料である経済的な安定が得られると思ったので、ぶっ倒れるくらいガムシャラに取り組みました。…っていうか、1日はぶっ倒れて寝込みました。笑

そして課題をクリアーし、合格の知らせをもらったのが出国11日前です。
そしてナント!翌日から片道1時間半かかる場所まで、研修に通わないといけなくなりました(号泣

あの航空券をポチってから出国までの6週間は、人生で体験した一番の忙しさでした。多分1日100時間分の用事をこなしていたと思います。

引越し作業で手はパンパンに腫れ、顔はこの世のモノと思えないほどむくみ、全身筋肉痛 + 全身疲労でほとんどまともに頭が回らないという肉体の限界を経験

そんな中で最後まで協力し応援してくれた私の両親には深く感謝しています。

ところがどっこい

そしていよいよ出国当日を迎えるといきなり息子が嘔吐
「うわぁ〜神様はどこまで難題を突き付けてくるんだ … 」

けれども結局、ぐったりしている息子を連れて、なんとか夜中発の飛行機に乗ることができました。

エアアジアのスタッフには「親御さんの責任において」云々と念を押されましたが、息子ががんばってくれて搭乗してからは元気を回復していき、翌朝2013年2月27日にクアラルンプーへ到着、乗り換えてペナン島へ着きました。

話を先に進めます。

ペナン島についてから3週間ほどで、住居が決まり新居に移りました。そしてその英文添削の仕事を始めたわけですが、意外な落とし穴が…

仕事そのものはとても面白くやり甲斐のある内容でしたが、支払われる給料が専門職にしては異常に低く(田舎のコンビニのバイト並み)、生活に必要な金額を稼ぐためには、ほとんど寝ている時以外は仕事をしないといけないような状態になってしまったのです。

締め切りがある仕事なので、それに合わせるしかありません。5分の時間を惜しんで作業する、というあの引越しのドタバタと同じ状態に。

最初の段階で、雇い主とペイに関することを書面でハッキリさせておくべきでした。口頭で言われたことをそのまま鵜呑みにしてしまっていたので。

結局約半年+頑張ってみましたが、たいした昇給もなく、これは生産的でないと判断し最終的にはやめました。

その頃は1リンギット(27円)を惜しんで使う日々で、毎月の家賃支払い時には胃がキリキリ痛かった

このキツい時期にも高齢の母が東京から応援に来てくれて、息子のインターの勉強をみたり、家事を手伝ってくれたりしました。最強の母を持ち、本当に恵まれています。

そうそう、書き忘れましたが、東京の自宅で英会話を教えていた時の生徒さんが、ペナン島に移ってからもスカイプレッスンを希望してくださり、何名かは来ぺ当時からレッスンしていました。

その生徒さんの数を増やして、現在に至ります。
(スカイプ英会話レッスンいついてはこちらへ

最後に

こうして、ペナン島へ来るに至ったプロセスを文字にすると、割とサラッとしているのですが、
実行に移すまでに相当な葛藤がありました。

当時のツイートから気持ちを吐露したものを載せておきます。

オシマイ

ペナン島の生活費についての記事はこちらへ

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海外移住先として人気が高いマレーシアのペナン島での生活費用について、ペナン在住7年目に入った2人家族の我が家の場合を細かく書きました。

ペナン島移住6年半の生活記録はこちらへ

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マレーシアペナン島に移住して6年半が経過。こちらの生活の良いと思うところと、そうでないところを検証してみます。子供がペナン島のインターナショナルスクール3校に通っての感想も。

 

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