ツイッターで「過去にうつ病になったことがある」と呟いたら、サッといいね!されて問い合わせのDMがきたので、その時の経験を書いてみようと思います。以下のツイートです。(尚、ツイッターのメインアカウントは画面右下にあります)
ものすご〜く忙しいのだけど 次から次へとやることがたくさんあるのも人生の一時期にはいいかな。前にニューヨークに居る時に鬱病になり、人に会えなくなって/外に出られなかったモグラのような日々と同じ人生だとは思えない。山あり谷ありですね。
— Single Rose (@Single_Rose2003) September 7, 2019
日本でもうつ病に罹る人がが増えています。本人が苦しんでいたり、家族が心配されていることも多いと思います。実は、今回のDM以外にも、うつ病で悩んでいる方に何度か相談されたことがあります。
自分の経験をシェアしますので、一例として捉えていただけたらと思います。こうすれば治る!というハウツー的なことやアドバイスは書きません。各々のケースで違うだろうし、私は専門家ではないので。
私は元々ヒャッホーと楽観的、まわりには「ネアカだよね〜」と言われます。実際自分でもそう思う。特に理由がなくても、毎日なんとなく楽しい気分なので。笑
でも、そんな人間でもうつ病ってなるんです。
だからまず、『うつ病は悲観的で精神的に弱い人だけがかかる心の病ではない』ということが、もっと一般的に知られると良いなと思います。そして、そんな過去があったとは思えないくらい今、人生を楽しんでいる人間がいる、ということも知っていただければ良いなと。
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ニューヨーク移住数年後
なぜうつ病になったか?という元々の原因については、プライベートな内容なので触れません。
ともかく、ニューヨークで元夫と別居して一人暮らしをしている時に、人生にっちもさっちもいかなくなってしまいました。出口のない暗いトンネルの中を延々とさまよっているような、感覚がおかしくなり、周りの音が全く聞こえない異次元にスッポリ入り込んでしまったような状態になりました。
お腹にはまだ生まれていない、現在の息子がいました。
当時の自分は、ニューヨークの写真学校を卒業し、憧れだった某フォトグラファーWorkshopに選ばれて参加が実現するも、そこで目の当たりにした現実に失望したりして、目的を見失っていました。
これからどうやって生きていこうか、と考え、しばらくは日銭を稼ぐためにレストランでアルバイトをしていましたが、子供が生まれる前にクリアーしなければならないことがあまりに多く、また、難関過ぎて発狂しそうでした。
押し寄せる難題
- 米国で子供を産むにあたっての医療保険をどうするか
- 別居中の夫と離婚する為の弁護士探し
- 子供が生まれたらどうやって生きていくか
という、とりあえずの人生再計画を立てなければならず。
そして、ある重要なことを決める必要があったのですが、これが考えても考えても答えが出ませんでした。
更にザ!ニューヨーク!な住環境問題として、上階の某カリブ海国出身のお兄サンが毎日メレンゲを流しっぱなし♫で大騒ぎ。メレンゲとはカリブ海諸国を中心とするラテン系の音楽で、夜はフローリングの床でズンチャカ踊りまくり… うるさ過ぎて眠れない。
本人にも苦情は伝え、夜中の3時に警察を呼んだりまぁ色々あったのですが...。最終的には私が引っ越すしかなかったです。しかも出産予定日一ヶ月を切った、巨大お腹で地獄の引っ越し+脱出。
今思えば、カリブ海出身者の居住地域に住んでいたのは、この自分。そこのカルチャーが合わないなら、自分が去るしかないですよね。オィ!こっちは妊婦なんだぜ!と言っても、だからナニ?って話です。今ならわかる「自分の都合だけでモノを見ている」のいい例。笑
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働くことが困難に
当時はアメリカの永住権保持者だったので、とりあえず働くことはできました。
そして、諸々の問題にひとつひとつ対処していくうちに、段々と自分の心の中に重い重〜い鉛の塊みたいなものができていきました。すぐに決めなければいけないことに、延々と結論が出せなかったこともあったと思います。
割と社交的で友達も多い自分が段々と人に会うのが億劫になり、自分のアパートにじっとしている時だけが唯一落ち着けるようになっていきました。
最初のうちはアルバイトにも行っていましたが、あるきっかけでそこの店を辞めてから、次のバイト先を探すのが困難になってきた...
スタッフ募集中の店を調べて行ってはみるのですが、入り口で足がすくんで中に入れず。人に会うのが苦痛で、とてもじゃないけれど面接なんて無理な状態に。
そもそもツワリもあり、お腹が大きくなるにつれて、歩き回るウェイトレスの仕事はキツ過ぎました。それでも何度も色んな店の前までは行きましたが …
うつの日々
うつ状態になると、人との接触が極端に怖くなります。「対人恐怖症」です。
常に人を避け、友達が訪ねてきてくれても息を潜めて居留守。もちろん電話にも出ず。ゴミ出しさえも近所の人に会いたくないので、あたりが寝静まった真夜中に駆け足で出す etc.
結果、無職、対人関係ゼロの引きこもり妊婦に ...
貯金は減っていく一方。状況が厳しい上にお金がない、ということで心理的に追い詰められていきました。あそこまで金銭的に極限の生活を強いられたのは、人生初のことでした。
そうこうしているうちに昼と夜が逆転してしまい、、夜遅くになると目が冴えてしまって眠れません。朝方になってようやく力尽きて眠る、といった日々。
そんな生活なのでいつも体がだるく、体調がすぐれない。一旦このサイクルに入ってしまうと、何をどう変えようと頑張っても、元の生活リズムに戻すことはできませんでした。
当時は今のようにSNSが盛んではなかったので、ネット上で知らない人と瞬時にコミュニケーションが取れたりするツールはありません。とても孤独です。
何もすることがなくてボーッとしていたら、この世にオサラバしたくなってきて、持っていた裁縫道具で生まれてくる子供のよだれかけを作り始めました。それを作ることだけが唯一生きている理由のような...
結果、こんなのが20枚近くできました。これ、後に息子が成長して処分する前に記念に撮ったものです。
その頃の私の状態を知っていた人に、「一度セラピーを受けてみたら?」とアドバイスされたのですが、当時はセラピーを『精神を病んでいる人が受ける治療』のように思っていて、自分は精神を病んでいる意識はなかったので、取りあえずお断りしました。
そのときは冬だったのですが、ニューヨークの冬は寒く、空が暗いことが多かった。毎日一人で悶々としていて、このままではいけない、とはわかっていました。
少しでも外へ出ないと精神を病むと思い(すでに病んでいることを知らず w )萎える気持ちを奮い立たせて、頑張って頑張ってようやく行ける場所の一つがニューヨークの図書館でした。図書館はお金がかからないこともあり。
上着を着込んで、顔が見えないように帽子を目深に被り、やっとの思いで出発しても、1ブロック先まで歩いたところで急に気分がガクッと落ち込みそれ以上一歩も前へ進めずに、家に引き返したことは数知れず。
家に戻ってドアを閉めると、自分はなんてダメな人間なんだろうと、更に落ち込んでメソメソ。
朝方に外が明るくなって来る頃に、あぁこのままもう永遠に目が覚めませんように… 明日がきませんように … と願いながら眠りにつく日々でした。
頑張って図書館までたどり着けた日は、周りに人がいないコーナーを探して床に座り込み、様々な心理学系の本を読みながら、なにか自分の心に響く文章はないかと探しました。結局何を読んでも、どこにも答えは見つからなかったのですが。
うつ状態になると普段やっていたことができなくなり、例えば『外出する』という何でもないことが、ものすごくハードルが高くなってしまうんですね。
普通の時の感覚で言ったら、ん〜 そうだな … 『何千人もの聴衆が観客席にいる中、素っ裸で舞台に出て行って、やったこともないサーカス芸 = 空中ブランコを披露しなければならないような心理状態』とでも言うのでしょうか。笑
頑張って自分を奮い立たせて外へ出られた日には、雑踏の中に紛れ込める地下鉄に乗り、ニューヨークの端から端まで何往復もしながら、ただボーッと座っていました。誰からも見えないように帽子を深くかぶって、朝から晩まで一日中同じ電車に乗っていたこともあります。
でも、そんなことをしていても何も解決せずに、お腹の子供だけが大きくなっていく。
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ニューヨークのセラピーへ
そのうちにセラピーがどんなところなのか、一度だけ行ってみたい、と思いはじめました。ワラをも掴む思いだったのでしょう。
ニューヨークへ移った当時、お世話になったアメリカ人精神科医の方がいました。その方が知り合いの女性セラピストを紹介してくださることになり、自分に合うかどうかの初回のセッションへ行ってみました。ミッドタウンにある教会内部にオフィスがあったと思います。
当時の対人恐怖に加えて、全く知らないアメリカ人女性、しかもセラピストという肩書にかなりビビってはいました。でも逆に、私のことを全く知らない他人に相談できる、ということで希望を見つけられるかも、という期待もありました。
初回のセラピーへ行ってみて、意外や意外!何かこの先にもしかしたら光が見えるかも!と感じました。それは彼女がプロだからなのか?または相性の問題なのか?… きっと両方ですね。
アメリカでは、自分に合うセラピストに出会えるまで、何人か面会してから決めると聞きます。人には相性があり、しっくりこない相手には、自分のプライベートなことを話したくないですし。
更に幸運だったのは、『英語で話す』ということが、私にとってはある意味楽だったのです。心理的なバリアーの話です。
日本人セラピストで日本語でのセッションであったら、『こんなことを言ったらこう思われるのではないか?』と、自制する気持ちが無意識に働いてしまい、自由に感じたり思ったりしたことを表現できなかったと思います。
セラピーのセッション代は、スライディングスケールと呼ばれる、収入に応じて金額が変わるありがたいシステムで、無職の自分は一番低い金額でセラピーを受けさせてもらっていました。確か隔週だったかに彼女のオフィスに行って話をするようになりました。
セラピストが私に短い質問を投げかけて、それに自由に答える、といった形でした。
例えば、
お父さんとの関係は、子供の時どんなものでした?
などと聞かれます。それに対して、頭に浮かんだことからどんどん話していく、といった進み方。
初めのうちは、自分が答えを出せないで悩んでいる問題に対して、解決策を提示して欲しい思いでいたので、すぐにそれを得られないことに不満でした。セラピストは、相談に乗ってくれて、問題を解決してくれるものだと誤解していたのです。
こんなに色々私の過去を聞き出してどうするのだろう、と思っていた。
でもそのうちに、彼女の質問に自分が答えていく中で、それまで考えてもみなかった『自分』という人間について、別の角度から見ることができるようになり、気付かされることが多くて驚いたんです。
あぁ自分がこのように感じてこんな行動をとるのは、過去のこの体験が元になっているのか、といったような。
セラピーは、答えを教えてもらうのではなくて、自分で気づくか、または自分で解決策を探せる方向へ持っていく、ということなんだろうと思います。他人に治してもらうのではなく、自分の足で再び立ち上がり歩いていけるよう手助けしてもらう、ということです。
うつ病の薬をすすめられる
そんな感じで、自分という人間への理解は深まってきてはいたものの、一向に決定的な解決策は見つからないでいた頃、あるセッションでセラピストが「あなたは suicidal(自殺願望がある)なので投薬が必要だと思う」と言いました。うつ病の薬です。
そして彼女自身は精神科医ではないから薬は処方できないので、薬を飲み始めるならば別の精神科医にかからなくてはならない、と。
ギョッとしました。自分の中で「薬を飲むようになったらいよいよヤバい」という漠然とした危機感があり、また、お腹に子供もいたので薬は絶対に避けたい。そして、精神科医にかかるとなればまた自分の状況を一から説明しなければならず、彼女以外の人に話をするのは絶対に嫌でした。
そのセラピーセッションを境に、自分の中でクッキリと線引きができたというか、いつまでも鬱をやっていられない、決別したい、との気持ちが強くなりました。自分の中の決意として、私は病人ではない = 薬は飲まない、と。
子供の誕生
それからすぐに臨月に。母親がうつだろうが何だろうがお腹の子は成長します。 結局、予定日より数週間早く、帝王切開で息子は生まれました。全てを私に委ねている赤ちゃんを持ったことで、生活が一変。
そして私の場合は、出産という物理的、肉体的、精神的変化で生活環境が丸々変わり、気が付いたらうつ状態を抜け出せていました。なんだ、そんなオチかと思われるかも知れませんが、もしあのまま同じ環境の中にいて、子供が生まれることもなかったら、なかなかうつ状態を抜け出せなかったのでは、と思います。
同じ場所にとどまっていても何も変わらず先は見えない。 生活が変わり、自分の役割が変わることで、うつに終止符を打つことができました。
この辛い時期に、ニューヨークの人たちには本当によくしてもらいました。シングルマザーで子供を産む、という事情を知ったマッサージスクールの先生が、コミュニティに働きかけてくださり、無料でプロのマタニティマッサージをして頂いたことも何度かあります。
友人たちには引っ越しを手伝ってもらったり、ご飯を食べに連れ出してもらったり。うつ状態であることを伝えてはいませんでしたが、ずいぶん気にかけてくれて助けてもらいました。
少し前にツイッターにニューヨークの話を書いた時に、思い出して追加ツイートしたこんな思い出もあります。
ニューヨークではこんなこともあった。子供が産まれる直前に新品の産着を買えず古着屋に行った。無職シングルで1日5ドルで生きてた頃。中古の産着を数点レジに持って行ったら、店員の黒人男性が自分のポケットからお金を出してレジに入れ、いいから気にしないで、健康な赤ちゃんを!と。
泣いたよ...— Single Rose (@Single_Rose2003) March 30, 2019
この経験を通して今は、人生に行き詰まっている人のことが少しはわかるし、あの経験があっての今の自分なので結果オーライ、貴重な体験だったと思っています。今は南国の島で人生を謳歌しています。
オシマイ
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