2月26日で私と息子がマレーシアへ旅立ってからちょうど10年。半年前に私は両親の介護のため東京へ戻り、現在息子はスペイン• バルセロナの大学へ通っています。
10年という歳月は、半世紀以上生きてきた自分には大きな変化はないけれど、9歳から19歳までの多感な時期を海外で過ごしている息子への影響は相当デカい。
シンプルに言って、人間の多様な在り方、生き方をごく普通のこととして育ったことと、世界中どこでも生きていけるベースができたことがめちゃくちゃ良かったです。
この10年を振り返り、子育て後半期をマレーシアで過ごした経験について、主にアジア各地でのトレッキング&ホームステイ旅に焦点を当てて書いてみます。
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異質な存在からの脱出
息子は東京の公立小学校3学年が終わる直前に日本を出た。あのまま日本で過ごしていたら、どうなっていただろう。
ミックスである息子は(あえてハーフとは言わない w)小学校へ上がってすぐに日本の『異質なものは区別する』洗礼を受けた。上級生の男子生徒数人に靴箱の影に連れて行かれ、お前の父ちゃんどこの国の人?お母さんナニ人?etc. 質問攻めに。
今日学校でこんなことがあった、と息子が話してくれた時、うわぁきたか、と思った。外見が少し違うと目立つ = よそ者扱いを受ける。
それまで行っていた保育園で、自分がまわりと違うことを意識させられたことがなかった息子は戸惑ったと思う。そうか、自分はここではハーフと言われる何か変わった存在なんだ…
私は単一民族&単一文化ではない土地で息子を育てたいと思った。厳密には日本も単一民族ではないけれど、大雑把な話として。
自分が20代の大部分をアメリカの西海岸と東海岸で過ごし、更に30代後半から『人種のるつぼ』と言われるニューヨークに住んだ経験から、色んな人種や価値観が入り混じった環境の方が、多種多様な世界に溶け込めて居心地がよいと感じていた。
高校まで日本で育った自分が、外の世界へ出てみて、いかに狭い島国の閉鎖的な価値観の中で生きてきたか思い知ったこともあり、息子が大人になる前に、もっと多様な価値観が存在する環境を生活の場にしたかった。
ゴチャゴチャ言ってますが(笑)要するに『世界は広いよ』ということをナマで体験させたかったってことです。
息子を国際人に育てようとか、バイリンガルにしようとか、そこを目標としていたわけではないです。周りからカテゴライズされることなく、自分らしく生きられる環境を用意できるのは親である自分だな、と。
2011年3月に原発事故が起きて、私自身がひどい体調不良に見舞われたことから、どこか遠くへ移らなければとの思いが強くなった。
マレーシアへの渡航経験はゼロ。調べてみたら、マレー系、中華系、インド系 etc. 異人種異文化がミックスした社会であることがわかり、これはまさに求めているものだ!と期待を胸に旅立ったわけです。
この辺の話は『シングルマザー マレーシアペナン島移住への道 • 私のストーリー』に詳しく書いているので、飛ばしますね。
そうでした … 今回はこの10年の回想録でした。笑
マレーシア • ペナン島での生活についても、10年以上続けているTwitterで日々呟いているので、ここではマレーシア滞在と同じくらいインパクトが大きかった(らしい)息子とのアジア旅行にフォーカスを当ててみます。
アジアの旅
パンデミックで2020年に旅行出来なくなるまで、ベトナム2回、ミャンマー、ラオス2回、南インド、タイ3回、ボルネオ島、シンガポール、バリ島、ランカウイ島2回など、毎度2週間の予定でバックパックを担ぎ息子と歩き回った。
いわゆる観光スポットを巡る旅ではなく、2人で1泊1500〜2000円くらいの安宿に泊まり、現地の人が行く屋台で食を楽しみ、その土地の料理教室に参加したり、市場を見て回ったりしながらローカルカルチャーに浸る旅。
ベトナム、ラオス、ミャンマーでは山奥に住む少数民族の村へガイドさんを雇ってトレッキングで入り、村の人々と数日間生活を共にさせてもらった。現地の暮らしを体験できてメチャ面白かったです♪
息子さんのために頑張っててすごいですね、と言われることがあるけれど、自分の興味でやっています。息子に良い経験になりそうでも、自分が面白そうと思えないことはできないです。笑
で、母親の好みでこのような旅をしたことが、結果的に息子の視野を広げたらしい。後に彼が大学に出願した際のカレッジエッセイにそう書いてありました。
前置きが長くなりましたが、ここからが本題です!
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ベトナムの少数民族を訪ねて
当時11歳だった息子にとって初めてのトレッキングの旅は、ベトナム北部のハノイから夜行列車で9時間以上北西へ行った中国国境に近い標高1600m にあるサパ(Sapa) からスタートした。
山岳地帯サパでのトレッキング&ホームステイは、2年で合計4回ほど。部族も生活様式も異なる山間の村へ入るのに、ここではガイドは通さず、基本的にはサパのバスターミナルに集まっている少数民族の人たちと直接交渉。… と言っても詳細を提示されるわけでもなく、サパの街からどうやって村まで行くのかとか、何泊何食でいくらかとか、それくらい。笑
どこのどんな人かもわからない山奥の家庭に滞在するのはリスキーとも言えるけど、その辺は今まで生きてきた自分の勘が頼り。バックパッカー歴長いし、失敗したことはないのでOKです✌️
初回はネットで見つけた赤モン族の女性に電話をかけ、2泊3日のホームステイが実現したのだけど、そこでの体験がおもしろかったので、サパに戻りまた別のステイ先を探した。
中でも特に印象に残っているのが黒モン族の家族、ズーズーさん一家、30代の夫婦と4人の子供たち。
中国雲南省にルーツがあり、自給自足の生活を営む彼女たちが唯一現金を手に入れる方法は、私たちのような観光客を家に招いて生活の一部シェアすること。そのために独学で英語を覚えたというズーズーさんは、彼女の子供たちが教育を受ける初めての世代だと話してくれた。
サパの街中からバイク2台で数キロ奥へ入り、途中で降りる。そこから更に山の上にある彼女の家へ辿り着くのに、凸凹の道を登るのはかなりハードなトレッキングだった。
2年目に再び訪れたとき知ったのだけど、彼女の子供たちはこの山道を下って山の麓にある学校まで毎日通っているそうだ。私の足で1時間以上かかるところを子供たちは20分位で歩けるんだとか。しかも!お昼ご飯を食べに家に一度戻って来てまた行く、と聞いて2度驚いた。
ここの家の子供たちはよくお手伝いをする。『手伝い』などと言う補佐的な役割ではなくて、食事の支度から豚の世話、野菜の収穫、洗濯、掃除など、家族が協力し合って暮らしていた。
14歳の長女さんが、学校から戻ってすぐに籠を背負って出て行く。裏山へ何かの植物を採りに出かけ、暗くなるまで戻ってこなかった。
家に戻るとおやつを食べながらゲーム三昧の息子には、どのように映っただろう。笑
ガスコンロをつければ料理ができる私たちの暮らしとは違い、ここでは火を起こすところからスタートする。8月とは言えベトナム山岳地帯の夜は寒く、料理の火で暖を取った。
こうして皆んなでベトナム風揚げ春巻きを作ったのだけど、美味しかったなぁ♡
ベトナム料理というと生春巻き!という感じですが、私は断然揚げたベトナムの春巻きが好き。
☝️これが染め上がったら干して乾燥させる👇
次の日には庭のニワトリを絞めてご馳走してくれた。写真を広げるとトサカもお皿に乗ってま〜す。笑
いつの間にか近所の人も来ていて自家製のお酒で宴会に。楽しいひとときだった。因みにズーズーさん以外には英語は通じないので、通訳してもらうか、ジェスチャーでコミュニケーションを取った。ニコニコしてオープンな気持ちで接していればどうにかなる。笑
夜のご飯はこんな感じ。ホームメードの食事はどんなレストランよりも美味しい。
息子や家族の人たちが寝静まってから、ズーズーさんと外に出て満点の星の下、色んな話をした。彼女たち少数民族がどのような状況の中で暮らしているのか、警察とのいざこざや、街中サパでのベトナム人とのトラブルなど、ガイドブックには到底書いていないリアルな声を目の当たりにして、強く印象に残った。ここでは敢えて書かないけれど。
そう言えば、ここにはトイレがない。 いや、あるっちゃあるのだけど、家から少し離れた土手を下りたところに掘った穴で用を足すスタイル。まわりをビニール製シートで覆っただけの青空トイレだ。
2日目の晩に息子が猛烈な嘔吐と下痢に襲われた。大雨の中、懐中電灯を片手に、もう片方で傘を差しながら土手下のトイレへ連れて行く。症状が収まるのをずぶ濡れで待ちながら、息子に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。初めてのトレッキングでエラく大変な思いをさせてしまってゴメン。
結局息子は次の日に山を下りる体力がなくて、ズーズーさんの旦那さんにおんぶされて下山することになった。この時の旦那さんも、つっかけサンダルでヒョイヒョイ飛ぶようにドロドロの斜面を下りて行く。しかも小4にもなる息子をおんぶして!山奥に生きる人たちの逞しさをを思い知った。
こんな経験をして、息子はもうトレッキングはノーサンキューなのかと思ったら、翌年「また行きたい」と言うので驚いた。やっぱり私の子だわ。笑
そしてハイ、翌夏もまたこのズーズーさんファミリーのところでお世話になり、少数民族のサンデーマーケットで有名なバクハーなども案内してもらった。
息子と私のトレッキング旅の原点はここから始まった。この翌年のミャンマー、その次のラオスのトレッキング&ホームステイ体験に繋がった。その話はまた別の機会に。
この10年で息子が得たものは、英語を自由に使いこなせる語学力や、アメリカ式インターで鍛えられたプレゼン力など、わかりやすいものもある一方で、アジア旅行のホームステイ体験で様々な人の暮らしに触れたことが息子の持つ世界観に繋がっていると思う。
慣れ親しんだ世界より未知の世界に好奇心を抱く - 息子が英語圏を進学先に選ばなかったのも、そんなことが関係するのかも知れないと思っています。
息子の語学力と言えば、ベトナム旅行でこんなことがあった。トレッキングを終えてサパの街へ戻った時、体がきついのでマッサージに行った。息子は付き添い。
マッサージ師のお姉さんが私に「Are you かう?」と聞く。え?と聞き返したけどまた「かう」かどうか聞いてくる。
あなたは牛ですか?????...
そこですかさず息子「寒いかどうか聞いてるんだよ、Are you cold?」笑
息子の話によるとベトナム人の英語は、タイ人の英語訛りによく似ている、と。ペナンで色んなタイプのアジア訛りに慣れている息子には一発でわかるらしい。
ズラズラ綴ってしまいましたが、これでも全然書ききれないのでまた旅シリーズとして足していきますね。
息子のマレーシア • ペナン島インターナショナルスクールでの詳しい体験はこちらの note 記事に載せています。
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